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【2017/09/25 00:35 】 |
吉良上野の立場(菊池寛)
新潮文庫のアンソロジー『七つの忠臣蔵』を衝動買いした。

中に菊池寛の「吉良上野の立場」が収録されている。


タイトル通り、忠臣蔵の顛末を吉良上野介の立場から読み直した作品である。

文楽や歌舞伎、講談等で伝統的に忠義の仇討ち話として伝えられてきたものを読み替えるという試みが大変、面白い。

もちろん、現代ではそういう議論もなくはないだろうが、(初出はわからないが)菊池寛の時代にこの読み替えは結構、斬新だったのではないだろうか。


読んでいると、浅野内匠頭長矩が短期で吝嗇な、若い大名にしか見えてこない。

百歩譲って、日本的な根回しや慣例を無視する近代的な人物と捉えることはできるかもしれない。


しかし、私が年をとってしまったからかもしれないが、この場面では、それは短慮でしかなく、浅はかというしかないように思われてくる。

だから、その内匠頭の仇討ちをする四十七士も、学校で叱られた我が子の仇討ちをするモンスター・ペアレンツぐらいにしか見えてこない。


かといって、菊池寛は、吉良上野に肩入れしているわけでもない。

上杉の附家老・千坂兵部の目を通して、上野介のことを「頑固な爺(じじい)」と言わせている。

このバランスが面白い。


もうひとつ。

吉良上野介が、後の時代の言説空間にまで意識を及ぼしているところが興味深い。

「これで、俺が討たれて見い、俺は末世までも悪人になっていしまう。敵討と云うことをほめ上げるために、世間は後世に俺を剛欲非道の人間にしないでは置かないのだ。」

「わしは、殺された上に、永劫悪人にされてしまうのだ。わしの云い分やわしの立場は、敵討と云う大鳴物入りの道徳のために、ふみにじられて了うのだ」

と何度も、後の言説空間の一方性について批判する。

そして、最後、吉良上野は、

「浅野主従、世間、大衆、道徳、後世、そのあらゆるものに、刃向って行く気持で、その短刀を抜き放って、ふらふらと立ち上がっ」

て討たれるのである。


そういったあたりから、この「吉良上野の立場」は近代小説だと言えるだろう。


大衆小説でありながら、〈世間、大衆、道徳〉の言説空間が、一方的に偏向してゆくことに対する一つの批判となっている。


その批判は、二十一世紀の現代をも十分照射するものである。

『文藝春秋』を創刊した菊池寛がそのようなことを書いているというところが、アイロニーとなっていて、それもまた面白い。 
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【2016/12/18 17:44 】 | 菊池寛 | 有り難いご意見(1)
てんにょどうらく(あさのあつこ)
だいぶ前ですが、官能支局に、あさのあつこの「てんにょどうらく」について書きました。

URLは、


http://kogoroh27.blog.fc2.com/blog-entry-1.html


です。


よケレバ。




【2016/12/18 17:04 】 | あさのあつこ | 有り難いご意見(0)
人形佐七捕物帳「羽子板娘」(横溝正史)
角川文庫から縄田一男編で横溝正史の『人形佐七捕物帳傑作選』が出ました。

背表紙が、従来の横溝ミステリと同じ黒色なのが嬉しいところ。

表紙絵は、杉本一文ではなく、卯月みゆきという人。

捕物帳なので、ま、いっか。笑



ご存じ人形佐七とは、

〈年のころまだ二十一、二、色の白い、役者のようにいい男〉で、〈神田お玉が池あたりで、親の代から御用をつとめている身分〉。

〈先代の伝次というのは〉、〈腕利きの岡っ引きだが、せがれの佐七はあまり男振りがいいところから、とにかく身が持てず、人形佐七と娘たちからワイワイといわれる〉くらいのイケメン。


その佐七の最初の事件がこの「羽子板娘」(原題は「羽子板三人娘」)。
 
 
今ではお正月に羽根突きをする子供もいなくなったが、江戸時代の羽根突きの羽子板(=ラケット)には押絵がついていて、その絵に江戸町人の中で評判の美人娘の似顔絵を描いたそうだ。

その「羽子板娘」にもなった江戸の三小町(=三美人)である、小石川音羽の小料理屋辰源の娘お蝶、神田お玉が池の紅屋の娘お組、深川境内の水茶屋のお蓮が、次々と殺されて、それぞれの娘の描かれた羽子板の押絵の首がちょん切られてしまうという事件が起こる。


町の美人の似顔絵が羽子板になる、というのは、私たちの子供の頃でいえば「ブロマイド」。少し前で言えば、読者モデルみたいな感じだろうか。

ネットの時代=現在でいえばなんだろう?

とにかくAKBなりNMBなりに入るほどの美人の女の子連続殺人事件。

それを20代前半のイケメン岡っ引き(=刑事?)が活躍して事件の謎を解くお話。

ドラマにして、イケメン俳優と可愛いアイドルの女の子を使えば、視聴率がとれないことはないんじゃないの? と思う。


伏線が後からどんどん後出しで出てくるあたりは、捕物帳だから(?)ご愛嬌として、連続殺人事件(未遂も含む)の謎解き自体は、今の新本格とも通底するものがあって(分類的には「後付」というやつ)、読みごたえは十分。


しっかり想像力を働かして読めば、面白いこと間違いなし。


初出は、昭和13年1月の『講談雑誌』。


作者自身が、〈アガサ・クリスティの『ABC殺人事件』のトリックを借用〉と言明しているようだが、縄田一男は〈新しい捕物帳の連載を始めるに当たってその第一作の構成を海外の本格ミステリーに求めたことは、それら名作の持つ論理的骨格を、江戸情緒の中で生かそうという明確な意志が働いていたからに違いない〉としている。






【2016/01/03 19:50 】 | 横溝正史 | 有り難いご意見(0)
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